2014年5月28日水曜日

●明治以降の琉球人への差別
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    ↓文章を多く書き換えています。
 大正中期の1910~20年代、海外や本土に移民や出稼ぎに行く人が急増。大阪は定期航路もあり出稼ぎも集中しました。港に近い大正区に材木製造所や製鉄工場が次々と立ち並び、沖縄県人は港で荷降ろし作業、おがくず 鉄くずを売り歩き、女性は紡績工場で働いていました。家を持たない沖縄人らは 埋め立てた湿地帯に拾った材木を持ち寄ってバラック住宅を建て 沖縄人は「クブングワァー(くぼ地)と呼び 近隣の日本人は「沖縄スラム」と蔑み 琉球人・朝鮮人・シナ人お断りの看板が貼られ もめ事は琉球人朝鮮人のせいだと差別された。
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 頭が悪い(日本人は知らないがコイツラは気違いで人間とは呼べない野蛮人な頭の悪さです)ので理解力も無く 差別されるのは致し方ない という見解もあります。
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 戦前には、朝鮮人も琉球人も立場は同じだった。下宿や借家には「朝鮮人お断り」「琉球人お断り」と書かれるのが当たり前で 朝鮮人は生野区に住みつき 琉球人は大正区に住みついた。
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 なぜ、当時の大阪人は琉球人を嫌ったか?
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 沖縄人の 言葉が誰にも理解出来ない以前にコイツラのルーズで怠け者で嘘吐き加減(本当に嘘吐きです)が日本人の 一番のトラブルで「琉球人は時間を守らない」「琉球人は私的所有(自身の物と他人の物の区別が出来ずに 借りた物を返さず惚け通すと自分の物になる思っている)の観念が動物的だ」というのが大きい。

 朝9時と決めても、朝9時に来ない。労働時間に拘束されることや 時間単位で管理される事もコイツラは理解出来る頭が無く薄弱であり 自分の物と他人の物の区分すら理解出来ない!。頭が馬鹿なので 沖縄でも他人のモノを勝手に持ち出すので当たり前に毎日トラブルが続いてます。「時間」「自身と他人との区別」も近代人の概念が無い琉球人らの未開人は誰にも理解される事が無かった。大阪の人間は、時間と所有に対して近代的感覚だ。琉球人は意味不明で言葉では無く音だけを発するが 音は音であって言葉では無いので誰にも理解されない気違いの野蛮人です。

 大正10年(1921年)頃 本土には約7万人の沖縄出身の出稼ぎ者がいた。これは当時の沖縄人口の13%で、極めて大きな人数である。しかし、彼らは日本社会にとけこめなかったのではなく己自身の言葉が阿呆で薄弱で馬鹿な事を知っていて居る癖にテメエの頭の悪さが日本人に知られる事を恐れたのだ。

 「大阪において沖縄人の労働者が酒に溺れ欠勤が多く月給より日当を求め、沖縄人の信用が無い」 「他府県出身者と交流せず、終業後 公園に沖縄男女が集まり泡盛を飲み原住民語で歌い 阿呆集団を形成するとある」。これは本当の事であろう。
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※当時の関係者の話を総合すると沖縄県出身者には次のような欠点があった。
1.言葉が不十分で 音(ウェー)を発していて 意思疎通(イシソツウ)が出来ず意味不明な言葉が理解出来ない。

2.直ぐに不貞腐(フテクサ)れダラダラする性格で忍耐力(ニンタイリョク)も向上心(コウジョウシン)も無い。

3.どいつもこいつも頭が馬鹿で言葉が不自由で礼儀作法以前の問題だ。

4.酒に溺(オボ)れて 沖縄県人のみで小集団を作る癖(クセ)がある。

5.時間や契約を遵守(ジュンシュ=法律・道徳・習慣を守る)する意思が薄弱(ハクジャク)である。
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 大正12年(1923年)関東大震災で被災した沖縄県出身労働者救済のため 沖縄県出身でオックスフォード大学卒の神山政良牧師は京浜地方を訪れたその時の情況をこう述べている。

「鶴見とか川崎に労働者達が住んでいる話は知っていたが 彼らの居る所を探したが誰も知らない。色々説明を聞き『ああ琉球人の集落ですか』と 場所を教えてくれたのだが、行ってみてびっくしたよ。小さなところで しかも 裏に住まって 昼から蛇皮線をやっているんだ!!。あれは 誤解をうけるのは無理ないと思ったね(沖縄現代史への証言より)」。

その当時の沖縄人出稼ぎ労働者が凶悪犯や安易な窃盗など犯罪に走り、あまりの犯罪の多さに日本人は「琉球人お断り」「沖縄出身者お断り」看板を掲げる店がでた。