2012年9月22日土曜日


インターネットからの切り取りで文章を多く書き換えています。

 一般には殆ど知られていないことですが、昭和47年(1972年)5月に日本に復帰した当時の沖縄では、児童生徒の学力が日本と比べると3年の格差がありました。そのため沖縄に赴任した公務員や会社員の家庭では、子供が小学校を終えると子供だけでも日本に帰すのが普通でした。中学校を卒業するまで子供が沖縄にいては、学力不足から本土の高校に入学できなくなるからでした。

 学力低下の原因は沖縄県民が馬鹿でうすのろで屑なための教育軽視と無気力からでした。元日本海軍のオランダ駐在武官を務め、戦後は琉球漁業社長となった渡名喜守定氏は

 沖縄では高校の先生の学力が、東京の高校生ぐらいだ

 と昭和38年に雑誌「水交」の3月号で述べていましたが、昭和25年の時点で無資格教員は全教員の3割、約970人を数えました。更に沖縄出身学生に対する優遇制度である、国費、自費制度という特例措置があり、日本の学生よりも絶対に入学不可能な受験得点、偏差値でも日本の有名大学へ進学できる制度がありました。

 この制度は昭和28年から昭和55年まで存続し、毎年国費168人、自費98人、が国公立大学だけでなく、早稲田大学へも入学特別枠があり、日本人でありながら留学生待遇でした。国費及び自費の中から成績上位の順に毎年東大に2~3人、京大に2~3人という順で割りふられ、沖縄の高校卒業生約5千人がこの恩恵で進学(うち医学関係1,137人)しました。

 所詮沖縄ヂンなので学力不足で授業についていけず、学生運動に走る者がいました。


沖縄の大学生の学力も東京の高校生くらいだと思われているのか?。